圧倒的狭く深く派

友達について。
広く浅く派?それとも狭く深く派?
私は圧倒的狭く深く派。
心を許せば極限まで深めていくけど、
あとは極限まで浅く広げていく。
もしくは切れるタイミングでさようならしてしまう。

 

幼少期からそこまで友達が多い方ではなかった。
1人で過ごすこともあった。
いろんなコミュニティーに所属していたからこそ、
うまくいかなくても大丈夫
ってマインドがあったのかもしれない。

幼稚園時代は英会話に通っていた。
小学校はとにかく気が合う友達ができなくて、
今でも唯一つながっているのは
中学受験塾の友達。
最盛期週7で通ってたから、
家族より一緒にいた。
だから、いつ会っても
昨日まで一緒にいたような距離間で
その子たちと接することができる。

中学高校とだったから一緒にしてしまうけど、
ダンス部と放送同好会を兼部していたから、
それぞれに仲間はいて
クラスにも友達はいた。
だけど思春期あるあるなのかな、
なんだかそのときはうまく立ち振る舞えなくて
いまでも連絡とってるのは一人だけ。
あとはSNSで様子をうかがっている。
SNSで様子を伺ったところで何も変わらないし、
そっとさようならした人もたくさんいる。

大学はうーーん。
なんだか価値観が合う(金銭面でも)子がいなくて
社会人になってから会ってる子は
3人くらいしかいない。
サークルよりもゼミの子たちの方がつながりが強いかも。
自分の考え方を聞いてもらったり、
執筆活動を通して一緒に苦しいことを
乗り越えた感じがするからかも。

社会人になってからは
生活リズムがバラバラだったから
友達を作りに行くこともなくて、
家族と過ごす時間、
自分ひとりで過ごす時間が一番長かった。
大阪に来るまで。

大阪でシェアハウスに住み始めて
友達がめっちゃ増えた。
しかも人生をかけて関わりたいなって思う人達ばかり。
何が違うのかな。
多分過ごす時間の長さもそうだけど、
その人たちに見せる自分の面の多さかも。
仕事頑張りたいフェーズの自分も見せてるし、
弱ってるときの自分もみんな知ってるし
ハッピーオーラ全開の私も知ってる。
家の子たちはとことん深める。
そのほうがいろんな自分を受け止めてもらいやすくて
つらいときにめっちゃ支えてくれるのを知ってるから。
たまに家の子がほかのコミュニティーで出会った
所謂「友達の友達」を家に連れてくることがある。
私は正直その人たちとさらっと話す程度で
そこまで深めることはしない。
そもそも短時間で深められるほど私は器用じゃないし、
ぐいぐいこられても困る人もいると思うし、
そのあとつながり続けてくれる保障もない。
だからどうしてもストッパーがかかってしまう。

わかった。
なにがいままで私を「圧倒的狭く深く派」
にしてきたかわかった。
どれだけ「素の自分」を出し切っても、
「受け止めてくれる」という確信を
自分でできないとそこまでの友達になってしまって
興味が一気に薄れてしまう。
無防備な時の自分を受け入れてくれて、
自分もその子のことを
受け入れる準備ができていないと
それ以上深い友達にはなれない。
そして悲しいかな私にとっての友達の定義は
「素の自分」をOKとしてくれる人。

だから自分が強がっているうちは
その人は私にとっての本当の友達ではない。

そんな私が「ああ、この人友達だな」
って思う瞬間は、その人と一緒にいないのに
「この人元気かな」ってふと思い出す瞬間。