私の自己紹介

 

私とは、人生という一回きりの経験を、
全力で楽しくやり切りたいと思っている人間である。

 

さて、それはどこから、どういう経緯でそう思っているのか紐解いていきたいと思う。

 

<出身地>

日本、神奈川県にて生まれ育った。
神奈川県といっても海側、山側、西側、東側で随分と印象が違う。
私はその中でいうとど真ん中からの出身である。
山でも海でもない。西でも東でもない。どまんなか。

何を隠そう、何にもないところなのだ。

駅まで徒歩で40分。神奈川県の中でもかなりびっくりされる立地。
車社会だし、バス社会。

いいところは、米軍基地が近いからいろんなバックグラウンドを持った人がいるから、
どんな人に出会ってもびっくりしなくなった。

 

<生い立ち>

神奈川県のど真ん中で生まれ育った私は、
小学校は地元の小学校に通い、その後私学の中学校に入学する。
朝6時過ぎに家を出発し、1時間半かけて毎日学校に通っていた。
男女別学というなかなかほかにないシステムの中で思春期を過ごす。

どんな感じだったの?とよく聞かれるのだが、
校舎は男女別。授業も別、だけど部活はものによっては一緒。
食堂も男女一緒。学校行事も一緒。
だから話す機会もあるけれど、部活が一緒じゃない限り仲良くなる機会は少ない。

そのため私はのびのびと異性の目を気にしすぎることなくゆるく過ごしていた。

中高一貫校のため、高校にそのまま上がる。
若干数高校から入学してくる学生もいるが、全体の1割ほど。
ダンス部に所属していた私は高校から入学してきた部員ともなんとなく仲良くなった。

そんな矢先、アメリカリフォルニア州へ交換留学に行くことになった。

カリフォルニア州のど真ん中、
日本の方が想像するロサンゼルスやサンフランシスコとはかけ離れた田舎の町で
公立高校に1年通った。
日本人は生徒に私が知る限り1人もいなかった。
英会話は幼少期からやってきていたし、
中高でもなかなかの成績を残していた私だったが、こてんぱんにやられた。

コミュニケーションが全く取れない。
スタバやマックにいっても自分が欲しいものは注文できないし、
ホストファミリーや授業の中で出会う友人たちとの日常会話ができない。
相手が言っていることはある程度はわかるのに。。。ということがあった。
ここで私は人生最大の挫折を経験するのだが、またこれは別の投稿で。

なんやかんやあって、どうにか英語で会話ができるようになって、
今でも連絡を取り合う友人が何人かできて日本に帰国したのが高校2年生の夏。

日本に帰ってきたものの、アメリカでかなり濃度の高い経験をしてきたので
付き合う友人がかわったこともあったし、うまく人づきあいができなくなってきた。
気をつかいあったり、なんとなく群れる、
いわゆる思春期の女子のつるみかたに疲れてしまった。

だから、のらりくらりとそこそこの深さでゆるく友人とつながっていた。

大学受験をひかえ、みんな必死に予備校に通っていたが、
私はそこまでモチベーションが高くなかったので、
予備校には通わず、学校の授業と学校にある過去問、
そして学校にいた先生たちを駆使して教室の中で受験勉強をした。
自習室に行くこともあったが、
クラスのみんながいる教室で勉強するほうがなんだかんだ居心地がよかった。

ふわっとみんなおんなじ目標に向かっていろいろな方法で頑張っている、
そのエネルギーを肌で感じることができてよかった。

大学受験を終え、進学。
私は所謂日本の私立大学のなかでも名の通った大学に通った。
家から車で20分ほどのキャンパスだったのも魅力的。
まあまあな田舎にあったのだが、
キャンパスの中に池があり、それを囲むように芝生が敷かれていた。
みんなでお弁当をたべたり、昼寝をしたり、アイス食べたり、
語り合ったのがなによりも楽しかった。

サークルは引き続きダンスがやりたいと思っていたので、ダンスサークルに入会。
大学最寄りの600人キャパのホールを借りて2日間にも及ぶ公演をやったり
学祭のステージで踊ったり、はたまたクラブイベントをやったりと、
本当にたくさんの経験をした。
人と何かやる喜びや、
ダンスを見てくれる人たちに何か伝えられた時の喜びを知ったのはこの経験だった。

学生時代を謳歌して、社会に飛び立っていった私だが
サークルでの経験が忘れられず、空間やサービスを作り上げて
誰かに届ける仕事がしたかった。
だから行き着いたのがベンチャーの飲食会社だった。
5年間右も左もわからない業界でとにかくもまれ、
たくさん泣いて笑って楽しみぬいてきた。

 

そして今に至る。

 

<私とシェアハウス>

そしてなんといっても今の私を作り上げてくれたのは、
シェアハウスに出会ったという経験。
社会人になってはじめて転居を伴う異動を行った。
命じられたその場所は大阪。
今までずっと神奈川にいた私は、縁もゆかりもない場所だった。


初期費用もおさえたかったし、
ただ職場と家を往復する毎日に刺激が欲しいと思って決めたのがシェアハウス。
生まれた年も育った場所も働いている場所も別々の人々が
ひとつ屋根の下で暮らしている。
そこでわたしの人生が大きく変わった。
毎日人生をとにかく真面目に生きいているシェアハウスメンバーを目の前にして、
対話を繰り返し、たどり着いたのは、

「私も人生という一回きりの経験を、全力で楽しくやり切りたい」

という思いだった。
ありきたりではあるが、自分の人生今のままで満足なのかという思いだ。
あらためて自分の人生を自分の手でもっともっと濃くすることによって、
自分の人生をまるっと愛することができたら、もっと自分のことが好きになる。
そういう考えに至って、さてどうして生きようかと構想を練っている途中だ。

 

だいぶ長くなってしまったが、これがわたしの自己紹介。
まだまだ付け足したいこともあるけれど、今回はこんな感じかな。